瑞龍寺(村雲御所)本堂
文禄5年(1596)秀次の生母日秀尼(智)は、不運な生涯を遂げた我が子秀次の菩提
を弔うため、開山となってこのお寺を創建しました。
後陽成天皇から嵯峨の村雲の地と瑞龍寺の 寺号を下賜された日蓮宗唯一の門跡寺院で、
紫衣の着用と菊の御紋が許された格式のある寺院です。
天明8年(1788)の大火で堂舎を焼失、
その後、京都今出川堀川(現西陣織会館の地)に寺を移し再建されました。
しかしこの地も昭和36年、堀川通りの拡張工事に伴い、
瑞龍寺は秀次公ゆかりのここ八幡山城本丸跡に移築されました。
京都の建物をそのまま移築されており、
御殿のような座敷や残された本堂の棟瓦にも往時の姿がしのばれます。
元宝塚少女歌劇団スターの桜緋紗子が入寺し、
昭和63年から13世日鳳尼として、移転後の寺の復興に務めました。
御殿 中庭
瑞龍寺 本堂棟瓦 関白秀次卿銅像原型