田辺城址

西舞鶴駅の近くに舞鶴(ぶがく)城とも呼ばれる田辺城址があります。

天正8年(1580)信長から丹後の国を与えられた細川藤孝(幽斎)が、
子の忠興とともに天正10年代にこの城を築きました。
 
慶長5年(1600)7月、関ケ原の戦いに先立ち
西軍石田三成方の1万5千の大軍が幽斎の守るこの城に攻め寄せました。

幽斎はわずか500の兵で50日間籠城しますが、
幽斎のみが秘伝として伝える古今集相伝の書の廃絶
することを憂いた後陽成天皇の勅命により和議が成立しました。
古今伝授の遺跡が城址の心種園と名付けられた庭園に残されています。

現在城址は舞鶴公園となり、城門は平成4年に田辺城資料館、
二層櫓は昭和15年彰古館として建てられたものです。
天守台址の石垣のみが昔の面影をわずかに残しています。

     彰古館(資料館)                                    田辺城址          

                       
   

心種園                                   細川幽斎古今伝授遺跡