粟津の晴嵐

近江大橋の西岸を南に進むと、膳所城址公園を過ぎ
湖畔にささやかな松林が見えてきます。
「名勝 粟津の晴嵐」と書かれた碑が立っています。

しかし説明書きには、本当の粟津の晴嵐はここから西へ200m、
旧東海道沿いに植えられていた松並木を指すとあります。

今はその面影もなく、昔の姿を復元するため、平成10年に湖岸に若松が植えられました。
昔は500本の松並木が続き
、風に吹かれて嵐のようにざわめく枝葉の風情を晴嵐と称しました。
今、アスファルトになった旧街道に当時の老松が3本だけあると聞いて探しに行きました。
ようやく探し当てた老松には説明書きもなく、ただ歩道からはみ出して
車道に寂しげな姿が保存されていました。

寿永3年(1184)木曽義仲は宇治川合戦で、源範頼、義経の軍に敗れ、
粟津の地で決戦に臨み最期を遂げました。
義仲は義仲寺に葬られ、義仲の忠臣今井兼平の墓はJR石山駅の近くにあります。


旧街道の老松2本                             旧街道の老松1本     

            



 湖畔 近江大橋を望む                        今井兼平墓