豊国神社 唐門 慶長3年(1598)8月秀吉は伏見城で亡くなると豊国大明神として祀られ、阿弥陀ヶ峰の麓に 境内30万坪もある壮麗な社殿が建てられました。しかし、豊臣家が滅びると豊国神社は徳川の手によって 完全に破却されます。その後、明治13年に現在の地に社殿が再建されました。 唐門は伏見城の遺構と伝えられ、左甚五郎の作ともいわれる鶴の彫刻は、出来の素晴らしさに飛び立たないよう 今も網がかけられています。