方広寺釣鐘

秀吉の没後、慶長19年(1614)7月秀頼が再建した大仏の落慶法要を行なわれようとした直前に、
家康からこの釣鐘に刻まれていた「国家安康 君臣豊楽」(写真鐘の左肩白い部分)の銘文が家康の
文字を二つに切り、豊臣が君となって楽しむという、家康を呪う文章であると言いがかりをつけられました。

それが原因となって大坂冬の陣が始まり、続く夏の陣で豊臣家は滅亡しました。
鐘の内側には淀殿の幽霊が出るとの伝説もあります。 

鐘は高さ4.2m 外徑2.8m 厚さ0.27m 重さ82.7t 我国で最重量の大梵鐘です。