番場宿 蓮華寺
醒ケ井宿の次は番場宿です。
長谷川伸の戯曲で知られた「瞼の母」の番場忠太郎の故郷です。
ここから摺針峠を越えて行く中仙道と湖水を渡り京へ向かう米原港への分岐点でもあります。
蓮華寺は聖徳太子の開基で、創建当時は法隆寺と呼ばれていました。
元弘3年(1333)後醍醐天皇は鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、
六波羅で敗れた探題北条仲時らは
光厳天皇、後伏見、花園上皇を伴い、東国を指して落ち延びて行きます。
しかし、一行がここ番場まできたとき、南朝方佐々木道誉らに行く手を阻まれました。
天皇や上皇らの玉輩を蓮華寺に預け、
この本堂の前で北条仲時以下一族郎党432名が自刃しました。
全員から流れ出た血は川のようであったといわれ、
境内の奥には一族のお墓が並んでいます。
今も全員の名を記す過去帳は、重文に指定されお寺に残されています。
斎藤茂吉の恩師はこの寺の住職で、茂吉もここを訪ねており、境内に歌碑があります。
北条仲時らの墓 番場の忠太郎地蔵
斎藤茂吉歌碑 蓮華寺庭園