小督塚

渡月橋から左岸を少し亀山公園の方へ歩き、
右手に入ったところに小督の塚があります。

平安朝の末期、宮中で琴の名手として知られた小督局は
高倉天皇の深い寵愛を受けます。
しかし、高倉天皇の中宮徳子(建礼門院)の父である平清盛の迫害を受けて、
小督は宮中を追われ嵯峨野に隠棲します。
この塚の辺りに小督の庵があったといわれています。

高倉天皇の嘆きは大きく、ある中秋の名月の夜家臣の仲国に命じて、
小督の行く方を探しに嵯峨野へ向かわせます。
琴きき橋のたもとで夜中天皇をしのび奏でる小督の琴の音を聞き、
小督の庵を探し出し、宮中へ連れ戻しました。

やがて小督に天皇の一女が生まれると、清盛の怒り激しく再び宮中から追われ、
東山清閑寺に入り小督は23歳で尼になりました。

高倉上皇は21歳で若くして崩御され
、我が身は小督のいる清閑寺のそばに葬れとの遺勅により
清閑寺近くに御陵が定められ、今も隣に小督の墓があります。

琴きき橋跡                          東山 清閑寺

             

清閑寺 小督局供養塔                        清閑寺 高倉天皇陵