村岡局像

角倉了以の銅像からさらに奥に進むと、
ふくよかな姿の村岡局の像があります。

津崎矩子(のりこ)は大覚寺門跡の家臣を父として天明5年(1786)嵯峨で生まれました。
13歳で五摂家の筆頭近衛家に仕え、忠煕の信任厚く老女となり村岡局と呼ばれました。
篤姫が近衛家の養女として13代将軍家定に嫁ぐときには、
村岡局は忠煕の亡き正妻に代わり篤姫の養母役を勤めています。
梅田雲浜は彼女を近衛家の清少納言と称しました。

近衛忠煕は孝明天皇の意を受けて、
薩摩藩士西郷隆盛、小浜藩士梅田雲浜らと尊王攘夷への政治活動を進めます。

このとき陰で勤王の志士たちとの連絡役を務めたのが村岡局で、
井伊大老の安政の大獄には、西郷、月照の薩摩への逃亡を密かに手伝ったといわれ、
翌年74歳の村岡局は幕府に捕らえられて江戸送りとなります。

30日間入牢の刑を受けましたが無事京へ戻り、嵯峨直指庵で静かな余生を送りました。
明治6年88歳で亡くなり、死後従四位が贈られました。

亀山公園                           京都御苑 近衛邸跡糸桜

           

   清水寺 月照 信海 西郷歌碑                  村岡局が晩年を過ごした奥嵯峨直指庵付近