愛宕ケーブル軌道跡

今修験者と同じ苦労をして登る愛宕山も、
昭和の初期はケーブルで登れる一大遊園地でホテルや飛行塔もあり、
夏はテント村、冬はスキー場として賑わいました。

昭和4年愛宕鉄道が開業、嵐山から清滝まで路線電車が走り、
清滝川から愛宕駅までケーブルで結ばれました。
しかし、第二次世界大戦がはじまると戦況は厳しくなり、
昭和19年には不要不急線としてケーブルカー、続いて路線電車も廃止され、
観光施設も消えて行きました。

路線電車の跡は、現在一般道路としてバスが通っていますが、
ケーブルの跡は活用されることも無く、
6箇所のトンネルや橋梁など無残な姿をあちこちにとどめています。

表登山道には鳥居本の一の鳥居から愛宕神社まで50丁(5.5km)の間に
1丁毎に丁石(町石)といわれる板碑とお地蔵さんが置かれています。
むかしはそれぞれ50基あった丁石も、
今は板碑32基、地蔵20基が道しるべとして残されています。


 ケーブル旧愛宕駅                          ケーブルトンネル跡 

              

愛宕山から京都市内展望                       丁石 板碑とお地蔵様