愛宕神社

江戸時代から愛宕山は神仏習合の山として白雲寺が支配してきました。
白雲寺本殿には将軍地蔵、奥の院には天狗太郎坊が祀られていました。
しかし明治の神仏分離令によって、白雲寺は破却され愛宕神社となりました。
現在は全国に約900社を数える愛宕社の総本社です。

天正10年(1582)5月28日明智光秀は信長への謀反を企て、
その戦勝祈願に愛宕山で連歌の会を催し
「時は今あめが下しる五月哉」の句を残しています。
時は光秀の土岐氏を意味し、あめが下しるは天下をとるその決意を歌に秘めています。
このとき光秀が引いたおみくじは2度凶が出て、
3度目に大吉が得られたといいます。

本能寺の変の時、明智軍勢は老の坂越え、
唐櫃越え、明智越えの3班に分かれました。

私たちは帰路愛宕山を降りて、
明智軍勢の京へ通った明智越えの道を亀岡へ抜けました。
Nさんご案内有難うございました。

 愛宕神社鳥居                                 明智越 

             

                        明智道                                明智越え 亀岡方面を望む