宇治川から望む指月城址

秀吉が桃山に建てた伏見城は、第1期、第2期の指月城と、
第3期、第4期の木幡城に分かれます。

天正19年(1591)秀次に関白を譲った秀吉は、
翌文禄元年(1592)伏見指月の丘に第1期の城郭風隠居屋敷を築きました。
しかし、翌年秀頼が誕生すると、秀頼のための本格的な城に改築します。

後継者としていた秀次を自害に追いやり、秀次の聚楽第の遺構も取り寄せ、
金箔を惜しげもなく使った豪華絢爛の調度品と天守閣を備えた第2期の城が完成しました。

明の講和使節団を迎え、会見を予定していた直前の文禄5年潤7月13日、
伏見は大地震に見舞われ城は崩壊しました。

指月の場所は観月橋の少し北、宇治川を望む高台にありますが、
以前から指月は幻の城として城の存在が疑われ、
最初から秀吉は木幡山に城を築いたのだという説もありました。

しかし、平成27年から行われた発掘調査において
内堀跡や石垣、金瓦が発掘されここに城のあったことが実証されました。

指月城址 発掘現場                             指月城址 堀跡 

                                     

        発掘現場                           発掘された金瓦