木幡城からの展望

秀吉は地震で倒壊した翌日から、城を木幡山(現在の桃山)に移して再建にかかりました。
慶長2年(1597)5月第3期の城として天守閣も完成し、秀吉は秀頼とともに入城します。

翌年8月18日秀吉は秀頼の将来を案じつつ、享年63歳をもってここで亡くなりますが、
醍醐の花見、茶会、能、瓜見宴など、秀吉が晩年を楽しんだ風情がしのばれます。

木幡城は本丸、二の丸、天守閣跡などは現在明治天皇の伏見桃山陵となっており、
その史跡にはほとんど立ち入ることができません。
御陵の墳丘の辺りが本丸跡になります。

御陵の前の広場からの展望は南に大きく広がり、
昔は眼下に湖のような巨椋池が水をたたえていました

平成19年御陵参道の発掘が行われ、城郭を偲ばせる石垣が出てきました。

北堀公園の辺りは城郭外堀の名残をとどめ、
また治部池と呼ばれる桓武天皇柏原陵近くの池は、
名前の通り石田治部少と呼ばれた三成の屋敷の横にあった内堀の一部です。
 

       伏見桃山陵墳丘 旧本丸跡                     北堀公園 伏見城外堀                  

           

     桃山御陵参道 発掘石垣                            内堀 治部池