お舟入 石灯篭

秀吉が亡くなると伏見城は徳川家康が預かり、慶長5年(1600)8月関ケ原の前哨戦において、
徳川方鳥居元忠の守る伏見城は西軍に攻められ炎上しました。

慶長6年3月、関ケ原で勝利した家康によって第4期伏見城が再建されました。
慶長8年家康は征夷大将軍に任じられ名実ともに徳川家の城となり、、
以降2代秀忠、3代家光まで伏見城で勅使を迎えて将軍宣下が行われました。

しかし、豊臣家も滅び一国一城の令が発せられると、
元和9年(1623)伏見城は31年の歴史を閉じ廃城となりました。

京阪桃山南口駅の近く、JR奈良線の土手下に
伏見城舟入の灯りとなった石灯篭が残されています。
土手の向こうには城の船着き場であった面影を留める池があり、
昔は宇治川がここまで入り込んでいました。
写真の風景はJR奈良線の車窓からだけ見ることができます。

その薮陰には大名の家紋入りの四つ目石もありますが、そこまでは入ることはできません。

栄春寺の境内には伏見城の外堀を囲む土塁があり、
桃山東小学校には発掘された伏見城の石垣が復元されています。

JR車窓から見た お舟入跡                        お舟入 四つ目石 

            

栄春寺 伏見城土塁                        桃山東小学校 発掘された石垣