伏見工兵第十六大隊跡碑

第16師団は南が京阪墨染駅までと書きましたが、
更に南進んで観月橋の桃陵団地の中に「伏見工兵第十六大隊跡」の碑があります。

この地の歴史は古く、幕末には伏見奉行所があり、維新を迎えた新政府は奉行所跡を陸軍の伏見練兵場とし、
明治41年にはここに工兵第16大隊が置かれました。
第2次世界大戦後まで、この辺りには広々とした演習地が続いていました。

昭和3年、奈良電鉄(現近鉄)が奈良と京都を結ぶため、この工兵隊の敷地に線路を通すことになりました。
軍の機密の上からも電車は地下を通らせる計画でありましたが、
伏見酒造組合が地下を掘ることによって酒の水である地下水に影響が出るため反対し、
陸軍も折れて現在の高架路線となりました。

淀川に架かる奈良電鉄澱川橋梁も、陸軍演習の妨げになると言って橋脚の設置が許されず
当時最高の技術を駆使した橋桁のないトラス橋が出来上がりました。
現在この橋は国土の歴史的景観に寄与しているものとして国の登録有形文化財に指定されています。

工兵隊跡 奉行所の発掘調査中                         近鉄高架路線          

             

宇治川に架かる近鉄澱川橋梁                           陸軍用地の標識