壬生屯所 八木源之丞邸

文久3年(1863)2月23日幕府の浪士組234名は
将軍家茂の上洛警護隊として京へ入りました。

しかし、壬生へ落ち着くとその夜新徳寺で、清河八郎はこれから幕府のもとを離れ、
朝廷に従って尊王攘夷にあたると宣言し、3月13日には朝廷の指示を受けて江戸へ引き上げました。

これに反対した芹沢鴨、近藤勇ら24名が京へ残り、会津藩主松平容保へ預けられます。
壬生郷士の八木邸、前川邸に屯所を構え、
隊士も増やした浪士組は「八・一八の変」や「池田屋事件」で活躍し、
朝廷から新選組の名を与えられました。

八木邸では酒乱横暴を極めた局長芹沢鴨が、土方歳三らによって粛清され、
前川邸では古高俊太郎が倉で逆さ吊の拷問を受け、
長州ら勤王浪士たちの御所攻撃計画を自白、池田屋事件発覚のもととなりました。

近くの壬生寺では、新選組隊士が軍事演習を行い、
境内には近藤勇の銅像や芹沢鴨らの墓などが残されています。

壬生寺 近藤勇像                             前川荘司邸  

                   

 新徳寺                                  壬生寺