新日吉神宮 

後白河上皇は院の御所を法住寺に定められると、
皇居の守護神日吉山王七社を今熊野の地へ迎えられました。

慶長20年(1615)大坂夏の陣で豊臣家が滅びると、
家康は豊国大明神の神号を剥奪し、社殿は破却され豊国社は17年間で姿を消しました。

北政所の哀願により本殿と神宮寺だけは荒れるに任せて放置されましたが、
それも豊国社の参道に新日吉神宮を移し、参詣者は締め出されました。

境内摂社の豊国神社は元樹下宮と言われ、
木下藤吉郎の名をしのび秘かに秀吉を祀っていたとして、今は豊国神社と名を改めています。

坂本日吉大社の神のお使いは猿とされ、境内には狛犬に代わり狛猿が置かれています。
明治30年豊国廟復活にあたり参道は整備され、新日吉神社の社殿は現在の場所へ移転しました。

 拝殿                               境内摂社 豊国神社         

            

スダジイの巨木                                 狛猿