豊国神社

幕末徳川幕府は崩壊し、
明治天皇は豊国神社再興の沙汰を下し秀吉は復権いたします。

明治13年豊国神社の社地を方広寺跡に移して、
現在の社殿が完成し265年ぶりに正遷宮が行われました。

本殿には豊国大明神、隣の摂社貞照神社には夫人北政所が祀られています。
唐門は元伏見城の建物で、二条城、金地院を経て
明治31年にここへ移され国宝に指定されています。
唐門中央「豊国大明神」の額は後陽成天皇の宸筆で、
欄間の鶴の彫刻は左甚五郎の作と伝えられ、
その見事な出来に鶴が飛び立たないよう目を入れなかったとの伝説があります。

社の裏手には馬塚があり、神号を剥奪された秀吉は、
仏法をもって戒名を刻みこの五輪塔に祀られているといわれます。

近くには文禄慶長の役で戦功の証として朝鮮,明国兵の耳を持ち帰り、
供養したという耳塚もあります。
豊臣家栄枯盛衰の哀れを覚える散策のひと時でした。
 

唐門の勅額と目無し鶴彫刻                   豊国神社鳥居          

             

馬塚                              耳塚