高穴穂宮
都とは本来宮処(みやどころ)すなわち天皇の宮殿を意味し
近江には大津宮をはじめ全部で4ケ所の宮址があります。
その中で一番歴史の古い高穴穂宮は、京阪石坂線の穴太駅近く、高穴穂神社の辺りにあったといわれ、
境内奥の木立の中に東郷平八郎揮毫の立派な「高穴穂宮跡」の碑があります。
ここの御祭神は景行天皇で、日本書紀には12代景行天皇がこの地に宮を移し、
3年間住まいされ、106歳で崩御されたと書かれています。
その後 13代成務天皇は61年間ここに宮をおかれ、
14代仲哀天皇のとき敦賀の「笥飯宮(けひのみや)」へ移られたとあります。
古事記にも成務、仲哀2代の宮址とありますが、
いずれも考古学上の遺構は裏付けされておらず、伝承をとどめるばかりです。
しかし、この辺りには穴太百穴古墳群などがあり、
6世紀ころ朝鮮からの渡来系民族が多くこの地に住み着き、
宮跡にふさわしく穴太地区が大変栄えていたことがうかがわれます。
高穴穂神社 | 拝殿と奥に本殿 |
桐畑古墳 | 百穴古墳群 |