紫香楽宮

聖武天皇は天平12年(740)平城京から恭仁京へ遷都され、
天平14年紫香楽に離宮造営の詔勅が下り、
併せて、甲賀寺の造営と大仏の建立を命じられました。

やがて恭仁京は造営資金の不足から廃され、
天平17年元旦、紫香楽宮に新京を象徴する「大楯と槍」が建てられ正式の都となりました。

しかしその後、山火事や地震が起こり、その年の5月には天皇は平城京へ還都されました。
大仏の建立も中止となり、その後大仏は東大寺へ引き継がれます。

最初国指定の史跡「紫香楽宮址」とされたのは内裏野地区で、
小高い丘の上の遺跡が宮の建物跡とされたのですが、
近年の調査でここは甲賀寺の伽藍遺跡であると推定されました。

そして、宮町地区から宮殿や朝堂の遺跡や木簡などが見つかり、
こちらが紫香楽宮の中枢部分であるとして国指定の史跡に追加されました。
現在これらの遺跡は地下保存されており、この辺りにはのどかな田園風景が広がっています。

 紫香楽の宮(甲賀寺跡)  甲賀寺 講堂跡
             
 甲賀寺 伽藍配置図  紫香楽宮 宮町遺跡