保良宮

保良宮は淳仁天皇が天平宝字3年(759)、
平城宮改作のため滋賀郡石山の地に離宮として着工しました。
天平宝字5年には女帝孝謙上皇、淳任天皇も保良宮へ行幸されています。

しかし孝謙上皇が道鏡に病気平癒の祈願を受けたことから道鏡を寵愛し、
それを阻止しようとした淳仁帝や藤原仲麻呂との間に、
天平宝字8年「藤原仲麻呂の乱」が起ります。
「恵美押勝の乱」とも呼ばれ、仲麻呂は近江高島で殺害されました。

この事件で淳仁天皇は淡路へ流され廃位となり、
孝謙は称徳となって再び皇位につきましたが、保良宮の造営は中止され廃都となりました。

保良宮の場所については確かな資料はありませんが、
国府2丁目の民家の横に大きな「へそ石」と呼ばれる石があり、
保良宮の礎石のひとつと伝えられています。

近くには近津尾神社があり、境内には保良の名を遺す洞神社があります。
神社の隣には芭蕉が住まいした幻住庵もあります。

  へそ石説明札  幻住庵への道
            
 幻住庵   近津尾神社