薩摩二本松藩邸跡

薩摩藩の二本松藩邸は写真のように今出川の同志社大学の地にありました。

それまでの藩邸は錦東洞院にありましたが、
文久2年(1862)島津久光の上洛を迎えて手狭なため、
相国寺の地を借りて5800坪の広大な藩邸が作られました。

坂本龍馬が斡旋した薩長同盟はここで
西郷隆盛・大久保利通と桂小五郎によって結ばれたとされていましたが、
近年の調査でここから800mばかり北にあった小松帯刀の御花畑屋敷も有力地とされ、
昨年鞍馬口室町の角に薩長同盟ゆかりの地の碑が建てられました。

相国寺塔頭林光院は島津家とのつながりが深く、
この縁があって薩摩藩邸がここに置かれ、境外墓地には「蛤御門の変」や
「鳥羽伏見の戦い」で戦死した薩摩藩士の墓があります。

明治維新となり薩摩藩邸は廃止され、山本覚馬がこの地を買い上げました。
明治8年覚馬の妹八重の婚約者新島襄へ譲渡し、
襄は自宅で開校していた同志社英学校をここへ移しました。

  錦東洞院薩摩藩邸跡(現大丸の地)  小松帯刀御花畑屋敷跡 
   
  林光院   薩摩藩士戦没碑