小御所会議

慶応3年(1867)12月9日御所の御学問所で王政復古の大号令が発せられました。

これによって朝廷の摂政や関白、幕府の将軍や守護職なども廃止され、
有栖川宮熾仁(たるひと)総裁のもと議定、参与による小御所会議が開かれました。

この席で山内容堂は慶喜が参列していないことに対し、
「これは幼き明治天皇を擁しての岩倉や薩長の陰謀だ」と決めつけたが、
岩倉は英明な天皇を侮辱する言葉だと反論している。

この時西郷は御所の警備にあたっていたが、「短刀一歩あれば片のつくことだ」と凄み、
慶喜の官位はく奪と幕府領地の返還が決められ新政府が誕生した。

御苑には元治元年(1864)の禁門の変で西郷が指揮を執って会津藩を降した蛤御門や、
文久3年(1863)の八・一八の変で長州藩が追われた堺町御門など
幕末の史跡が残されています。

今糸桜満開の近衛邸跡は薩摩との縁が深く、
篤姫は近衛家の養女となって将軍家茂のもとへ嫁いでいきました。
その仲をつないだのも西郷隆盛でした。

 御学問所 蛤御門
   
  堺町御門     近衛邸糸桜