即宗院 東征戦亡の碑

東福寺の塔頭に薩摩島津家の菩提寺即宗院があり、
幕末には西郷隆盛と勤皇の僧月照がここ採薪庵でひそかに討幕の計画を相談しています。
鳥羽伏見の戦いでは、薩摩軍が寺の裏山から幕府軍へ砲撃したと伝えられています。

境内の奥にある「東征戦亡の碑」は、
薩摩戦没者524の霊を弔ったもので、西郷自ら碑文を書いています。

東福寺の塔頭退耕庵の前には「戊辰の役殉難者菩提所」の碑があり、
ここに長州藩の屯所が置かれました。
長州戊辰の役の犠牲者48名はこのお寺に祀られています。

月照は清水寺成就院の住持であり、近衛家を通じて西郷と結びつきましたが、
安政の大獄で京を追われて二人は薩摩の錦江湾に身を投じます。
月照だけが亡くなり西郷は救けられました。

清水寺には月照、信海、西郷の歌碑が残されています。
清水寺の南にある清閑寺も二人の密談の場所として伝えられています。

 即宗院

 退耕庵 
   

清水寺 信海 月照 西郷歌碑
  清閑寺