鳥羽伏見の戦跡 小枝橋

伏見城南宮の近くにある鴨川にかかる小枝橋のたもとに
鳥羽伏見の戦跡碑が建っています。

慶長4年(1868)1月3日夕刻、桑名兵は「討薩の表」を掲げて進軍してきますが、
薩摩兵に遮られ発砲を受けて戦闘が開始されました。
その砲声を合図に御香宮に陣する薩摩兵も、
伏見奉行所の幕軍本隊会津兵との戦闘が開始されました。

1月4日官軍は東寺に本陣を構え、
西郷は東寺の五重塔の上から指揮を執ったと伝えられています。
幕軍15000、官軍5000と数に勝る幕軍も、
錦の御旗と官軍の近代兵器の前になすすべもなく敗退しました。

伏見の寺田屋は薩摩藩の定宿として知られ、
ここでは文久2年(1862)4月23日薩摩藩の過激派有馬新七らの暴発を抑えるため、
島津久光の派遣した鎮撫隊奈良原喜八郎らとの同士討ちがあり、
双方の藩士9名が犠牲になりました。

伏見大黒寺には西郷が建てたこれら九烈士の墓があり、
墓碑の名前も彼の直筆です。
このお寺にも西郷、大久保の会談した部屋が残されています。

 秋の山 鳥羽伏見の戦い勃発地碑  東寺五重塔
   
寺田屋    大黒寺 九烈士の墓