長浜城

慶雲館を出て湖岸の方へ廻ると、
豊公園の正面に「秀吉出世城」と呼ばれた長浜城天守閣が見えてきます。
この天守閣は昭和58年に再興された模擬天守閣で、長浜城歴史博物館になっています。

天正元年(1573)9月、信長は浅井長政を攻め滅ぼすと、
小谷城と浅井の領国12万石を羽柴秀吉に与えます。

秀吉は37歳で一国の城主となり、天正5年(1577)頃新しく築城した今浜の城に移ります。
今浜の地名を信長の名から一字をもらい受け長浜と改めました。

本能寺の変後柴田勝家の甥勝豊が長浜城へ入り、
賤ヶ岳の合戦後山内一豊が長浜城主となります。
しかし慶長20年(1615)内藤信成が城主のとき、一国一城の令により廃城となりました。

長浜天守閣の上からは小谷城址や賤ヶ岳などが一望でき
兵(つわもの)どもの夢のあとがしのばれます
今湖岸には秀吉が築城のとき掘らせたという太閤井址があり、
天守閣跡には秀吉の像が建てられています。

その他遺構としては、彦根城の天秤櫓や三重の隅櫓、
そして長浜大通寺の台所門、知善院の表門などがあります。

城の近くには慶長5年(1600)秀吉の3回忌に
町民が秀吉の遺徳をしのんで建てた豊国神社があります。
出世と商売繁盛のご利益があります。

  豊公園 天守閣から琵琶湖を望む 
     
 湖中に残る太閤井址の碑   豊国神社