伏見 藤森神社

伏見深草の産土神藤森神社には、本殿中央に神功皇后をはじめ7柱、
東座には舎人(とねり)親王と天武天皇、そして西座には早良(さわら)親王ら3柱が祀られています。

本殿は正徳2年(1712)中御門天皇より、御所の賢所を拝殿とともに賜った建物です。
藤森神社の歴史は古く、神功皇后が203年三韓征伐に凱旋し、
帰国後この地にその軍旗と兵器を納めたのが始まりとされ、
境内イチイの古木の場所が旗塚として今も残されています。

舎人親王は天武天皇の皇子で、日本最初の正史日本書紀を編纂し、学問の神とされています。
もとは稲荷の地に藤尾社として祀られていましたが、
稲荷の神が山頂から本殿を現在の地に移すため、 
この地にあった藤尾社へ俵一俵分の土地を貸してくれと持ち掛け、
実はその俵をほどきわらを結び合わせて、現在の稲荷社の全面積を囲いこみ、
これを境内としたという伝説があります。

今でも藤森神社の祭りには、神輿が稲荷大社の参道わきに残る藤尾社へ立ち寄り、
神輿を振って「土地返しや」と叫び、稲荷側は「今神様お留守です。」と挨拶を交わすそうです。

西参道入り口                             神功皇后 御旗塚

            

学芸の祖 舎人親王崇敬碑                    稲荷境内 中央社殿 藤尾社