石川五右衛門伝説の手水鉢

手水鉢台石の説明書きには、
石川五右衛門が宇治浮島の十三重の石塔の上から五番目の石を盗みここの手水鉢としたとあり、
今も宇治の石塔の五層目は他の層の石と色が違うとあります

実はこの十三重の石塔は、鎌倉時代西大寺の僧叡尊によって建立されました。
宝暦6年(1756)の洪水で流出し、
長らく川中に埋没していましたが明治41年に発掘して再建されました。
しかし、笠石と5番目の石だけが見つからず新しく補足したとあります。
五右衛門は文禄3年(1596)に秀吉によって処刑されており、全てはその後の出来事です。

本殿裏にある大将軍社殿は桓武天皇が平安遷都されたとき、
都の方除けのため四方に将軍を祀った南の守護神です。
北は今宮神社、西は大将軍八神社、東には東山三条の大将軍神社があります。

その他二つとない名水「不二の水」や、武者行列にも参加する「藤森七福神」の像も祀られています。

 宇治塔の島十三重の石塔                         大将軍社社殿(重文) 

                   

 不二の水                                    藤森七福神