茶室 庭玉軒

方丈の奥にある通僊院は、
寛政15年(1638)正親町天皇の女御の化粧殿を移築したもので重文に指定されています。

ここには金森宗和好みの茶室庭玉軒が置かれています。
二畳台目下座床の茶室です。
庭玉軒への路地庭園は金森宗和の作と伝えられます。

方丈の東庭は緑の苔の上に十五個の石を配した枯山水庭園で、
「七五三の庭」と呼ばれ名勝・史跡に指定されています。
一休和尚に参禅した侘茶の祖村田珠光の作といわれます。

方丈の裏には珠光遺愛の手水鉢と、紫式部産湯の井戸があります。
しかし、この地は和泉式部の夫藤原保昌の宅地跡と伝えられ、
和泉式部の産湯の井戸とも言われますが定かではありません。

真珠庵の名前の由来については、臨済宗を開いた中国の僧楊岐方会が雪の夜に座禅をしていた時、
風に舞った雪が部屋へ舞い込み,
その雪が月に照らされ真珠のように美しく輝いて見えました。
その故事にもとづき一休が名付けたとされます。

庭玉軒内部      七五三庭園 伝村田珠光作
             
 珠光遺愛の手水鉢と奥は紫式部産湯の井戸       中庭