二条城 東大手門(重文)

関ヶ原の戦いで勝利をおさめた家康は、
慶長7年(1602)京都御所の守護と上洛時の館として二条城を築きました。
翌慶長8年家康は将軍宣下を受け、ここで勅使を迎え祝賀の宴を開いています。

3代将軍家光のときには、秀忠の娘和子が後水尾天皇へ女御として入内し、
寛永3年(1626)9月後水尾天皇は5日間二条城へ行幸され、
将軍家光、大御所秀忠が出迎えました。

この東大手門は当初から城の正門として石垣の上に櫓をかけて威容を示しておりましたが、
後水尾天皇行幸時には天皇の通路の上に人が上ることは恐れ多いとして、
単層の高麗門に一時期建て替えられ、後にまた現在の櫓門に復元されたといいます。 

今二条城では20年間の計画で築城以来という平成の大修理が行われております。
二の丸御殿の前にある唐門は既に修理を終え、
鶴亀や唐獅子など華麗な彫刻と金工細工が一層輝きを放っています。

その時菊の御紋の下には三つ葉葵の徳川の紋が隠されていることが分かり話題になりました。
 

 唐門 (重文)           唐門彫刻 菊の御紋と鶴 
             

 東南隅櫓(重文) 

        東南隅櫓内部