安土城址

秋晴れの一日、安土城址を訪ねました。
安土桃山時代とその名を残し、織田信長が天下統一の拠点と定めたここ安土城も、
今は訪れる人とて少なく、静かに戦国武将の歴史へ思いを馳せることのできたひと時でした。

長篠の合戦で武田勝頼を破った信長は、
翌天正4年(1576)丹羽長秀を総普請奉行として ここに築城を命じます。
天正7年には天主が完成し信長は移り住みました。

しかし、3年後の天正10年6月2日信長は明智光秀の謀反で無念の最期を遂げ、
一時城は光秀の手に渡りますが、6月14日には秀吉によって光秀も殺されます。

その後、信長の次男織田信雄(のぶかつ)や孫の三法師が入城します。
信雄が小牧・長久手の戦いで秀吉に屈すると秀吉の天下となり、
平成13年安土城は廃城され、秀吉の養子秀次が築く八幡山城へ移されました。
安土城はわずか6年でその歴史を閉じました。

天主への大手道に入ると、真っすぐに広い石段が伸び
左手に伝羽柴秀吉の屋敷址、右手に伝前田利家の屋敷跡があります。

 安土城山麓  天主への大手道
         
 伝羽柴秀吉邸址  伝秀吉邸復元図