二の丸址
黒金門址をさらに奥へ進むとすぐに二の丸址に出ます。
二の丸址には信長の本廟が祀られています。
秀吉は天正11年2月、信長の太刀、烏帽子、直垂などの遺品を埋葬し、ここを信長の本廟としました。
その6月には信長一周忌法要を盛大に行いました。
「本能寺の変」の後、天正10年6月15日安土城天主、本丸などは焼け落ちます。
原因については明智秀満が坂本城へ移るときに城に火をつけたとも、
またその後入城した織田信雄が明智の残党を焼き討ちするため放った火が燃え移ったともいわれます。
その他、野盗説や落雷説もあり真相は謎に包まれています。
しかし、二の丸は焼け残り、清須会議後織田秀信はここに入城しています。
二の丸の近くに「仏足石」が置かれています。
仏教を信じることのなかった信長は、
各地から集めた石材に混じる「仏足石」や「石仏」などもそのまま城の石垣や石段に使用しました。
信長本廟入り口 | 信長本廟 |
護国駄都墖碑 | 仏足石 |