南禅寺 聴松院

南禅寺三門の前を奥に進むと湯豆腐「奥丹」の店の手前が聴松院です。

鎌倉時代末期に北条氏によって招かれ、
元から来日した大鑑禅師・清拙正澄の塔所としてここに善住庵が創設されました。
室町時代善住庵は焼失し、聴松院として復興します。
清拙は臨済宗の鎌倉建長寺、京都建仁寺、南禅寺の住持を勤めました。
清拙は摩利支天を信仰し、ここにも摩利支尊天堂と狛猪が見られます。

摩利支天の本体は陽炎であり、その姿は見られることなく、
危害を加えられず勝利開運を導く神として、戦国時代の武将の信仰を集めました。
室町以降足利義教や義晴もここに宿り、織田信長や蒲生氏郷も訪れています。
楠木正成は摩利支天の小さな像を兜に籠め、毛利元就は摩利支天の旗を掲げ戦い、
前田利家も摩利支天を信仰したといいます。

隣の「奥丹」は寛永12年(1635)南禅寺門前で「丹後屋」として湯豆腐の店を開き、380年の歴史があります。

   摩利支尊天堂    聴松院 山門
                
   湯豆腐 奥丹   南禅寺 三門