長円寺

淀城址から南西へ10分余り、河津桜の淀水路に沿って進むと長円寺があります。

錦の御旗の前に賊軍と化し、淀城の門扉も閉ざされたまま幕府軍は男山方面へと撤退しますが、
この長円寺は戦場から隔離され、幕府軍の野戦病院となりました。
幕府軍の戦死者、負傷者は長円寺へ運び込まれ、寺はではその供養、治療に当たりました。
新選組隊士の3分の1は淀で戦死しています。

長円寺が政府軍から攻撃を受けなかったのは、
ここに祀られている閻魔大王の前では、争いの罪を犯すことが許されなかったからだといわれます。
閻魔大王とこのお寺の八幡大菩薩の化身足立観音がここを守ったのです。

後にこの話を土方歳三から聞いた榎本武揚は、
「戊辰の役東軍戦死者の碑」、「戊辰の役東軍戦死者埋骨地」と自ら揮毫しました。
近くの寺院には武揚書の戦死者の碑が3基、埋骨地の碑が12基残されています。
長円寺には写真の門前の碑と寺内に1基、隣の東運寺にも1基あります。

  長円寺本堂                       閻魔大王
             
  東運寺  淀水路 河津桜