妙教寺

 今度は淀城址から旧京阪国道を渡り、北へ10分ばかり歩くと妙教寺があります。
妙教寺は古淀城の跡地を法華又左衛門貞清が淀城主松平定綱から拝領して、
寛永3年(1626)淀城の艮(うしとら)の鬼門の守りとして建てた法華宗のお寺です。

古淀城は室町時代に築城され、戦国時代を経て、
明智光秀は本能寺の変後、ここを改修し山崎の合戦に臨みました。

天正17年(1589)秀吉は側室茶々の産所とし改築、
鶴松(棄丸)が誕生すると茶々は淀殿と呼ばれるようになりました。
鶴松は2年後に幼くして亡くなります。

しかし秀吉が伏見城を築くと、淀古城は取り壊され天守や櫓などは伏見城へ送られました。

さて妙教寺ですが、戊辰戦争のとき近くの愛宕茶屋付近は桑名藩の東軍が布陣し、
両軍からの砲撃を受け、本堂の南壁を貫いた砲弾が内陣の柱を貫きました。
幸い不発に終わり本堂の延焼は免れましたが、今も本堂には弾痕の残る柱とその砲弾が残されています。
ここにも榎本武揚書の「戊辰の役 東軍戦死者の碑」があります。



 東軍砲弾貫通柱     戊辰戦争砲弾
             
 
妙教寺 本堂   
 
東軍戦死者の碑