淀城址

 與杼神社(よどじんじゃ)の境内は石垣と濠に囲まれ、
在りし日の淀城の面影がしのばれます。
淀城の歴史は室町時代最初に建てられた古淀城と、江戸時代初期にこの地に建てられた淀城に分かれます。

ここ淀城は伏見城の廃城を受けて、淀川と桂川・木津川の合流地点の中州へ、
元和9年(1623)松平定綱を初代城主として築かれました。

当初天守閣は伏見城から移される予定でしたが、
伏見城の天守閣は二条城へ移され、一回り小さい二条城の天守閣がここへ移されたと伝えられています。
5層の天守閣は宝暦6年(1756)の落雷で多くの建物とともに炎上しました。

幕末の慶応4年(1868)1月5日、鳥羽伏見の戦いに敗れた東軍は、
淀の千両松、愛宕茶屋の戦いでも激戦の末敗退、態勢の立て直しを図り淀城へ入ろうとします。
しかし、老中を勤める城主稲葉正邦は江戸にいて不在でしたが、
留守を預かる重臣らの判断で東軍の入城は拒否され、やむなく幕府軍は橋本方面へと撤退しました。

          天守閣跡              淀城址碑
              
淀城天守閣の石垣  淀城址 與杼神社境内」