金森懸所(金森御坊)

赤野井から車でさらに10分ばかり行くと善立寺が管理する金森懸所があります。
 
室町時代浄土真宗に帰依した川那辺道西は、
この地に惣道場を開き周囲の民家を環濠で取り囲んだ寺内町を造りました。

寛正6年(1465)比叡山の僧兵により、京の大谷を追われた8代蓮如はこの地に立て篭もり、
続いて金森合戦と言われる比叡山との戦いがあり伽藍も灰燼に帰しました。

再建後の金森は本願寺の拠点として、
親鸞聖人の木像を安置し、蓮如も3年間滞在しています。
その後蓮如は吉崎御坊へ入り、北陸や各地の布教を経て山科本願寺を建てました。

元亀2年(1571)には信長の配下佐久間信盛もここを攻めています。
再び金森は廃墟となりましたが、信徒は常に一向一揆として戦う集団でした。

信長との和解後は、楽市楽座の朱印状を得て、市場と宿場の町として栄えました。
境内には鎌倉時代後期の作とされる重文の大きな石の懸所宝塔があります。

蓮如上人像  懸所宝塔  
               
  善立寺        チコちゃんの教え「ボーット生きてんじゃねーよ」