正伝永源院  細川護熙襖絵

境内の北にあるこの塔頭は、明治の廃仏毀釈の折に
正伝院と永源庵が一緒になってこの地で誕生しました。

信長の末弟織田有楽斎は大坂城を退去後、
元和4年(1618)戦乱で荒廃していた正伝院を再興し、茶室如庵を建てて隠居所としました。
利休、古田織部亡き後、茶道有楽流を開き茶道界の第一人者としてここで余生を送りました

当時の如庵は国宝として現在犬山の有楽苑に残されていますが、
ここには復元された茶室があり、有楽斎夫妻と娘、孫の墓もあります。

織田家の墓地の向かいに細川家の墓地があります。
南北朝時代に永楽庵は細川家の祖細川頼春の菩提寺として清水の辺りに建てられ、後にここへ移されました。
細川石の碑がある墓地には初代頼春から8代元常までが祀られています。
現在の客殿は細川三斎の寄進によるもので、歴代多くの住持が細川家から出ています。

その流れを汲む元首相細川護熙氏は、
平成25年襖絵24面を自ら揮毫し、今客殿に奉納されています。

 正伝永源院 庭園   如庵  
             
         織田有楽斎夫妻墓             細川家の墓