山科毘沙門堂

 山科疏水から少し参道をたどると、新緑の中に毘沙門堂門跡の石碑があり、
さらにその石段の奥には毘沙門天と書かれた大きな提灯の下がる仁王門が見えてきます。

毘沙門堂は天台宗五箇室門跡のひとつに数えられ、
秘仏の本尊毘沙門天は伝教大師最澄が延暦寺根本中堂の本尊薬師如来を刻んだとき、
その余材で作られた最澄自作と伝えられる2寸2分の木像です。

正しくは護法山出雲寺といい、
寺伝によると大宝3年(703)文武天皇の勅願で、行基によって開かれました。

その後平治の乱で荒廃し、鎌倉初期に平親範が平家ゆかりの3寺院を統合して再興しましたが、
今の相国寺の北の辺り出雲路の地に、広大な境内を有していたと思われます。
しかし、応仁の乱や元亀2年の戦乱でお寺は焼失し荒廃していきました。

慶長16年(1611)後陽成天皇は天海に再興を命じ、
天海の死後その遺志を継いだ高弟の公海が、寛文5年(1665)山科のこの地に堂宇を竣工させました。
後西天皇の皇子公弁法親王が入寺され、以降法親王の住持が続き門跡寺院となりました。
      
 (第53回山科義士祭 第71回春の山科 もご参照ください)

          

毘沙門堂門跡碑  仁王門
            

樹齢150年 新緑の枝垂れ桜
 
満開の枝垂れ桜