槙島城址

JR宇治駅の裏、任天堂宇治工場の北に、槙島城址の碑が2ヶ所建っています。
下記の写真は槙島公園に平成になって建てられた記念碑であり、
もう一つは昭和に建てられたもので,民家の間の小さな北槙島公園にあります。

縣祭りの賑わいをよそに、ここまで訪れてくる観光客は誰もおらずひっそりとしています。
室町時代この辺りは巨椋池という諏訪湖に匹敵する大きな池があり、
そこに槙島、向島などの島が浮かび、槙島には足利将軍に仕える真木島氏の居城がありました。

元亀4年(1573)7月、15代将軍足利義昭は京を信長に追われ、ここ槙島昭光の城に立て篭もりました。
しかし、川下から秀吉、光秀、勝家、川上から稲葉一鉄勢が攻め寄せ、
義昭らは敗北して河内へ逃れ、この時点でここが室町幕府終焉の地となりました。

本能寺の変後、槙島城は秀吉によって摂取され、
伏見城築城に伴う宇治川流域の付け替え工事が進められると廃城となりました。
今や巨椋池もなく、城の存在さえ忘れられようとしています。


  槙島公園の杜 槙島城記念碑  
           
 北の槙島公園 城址碑  槙島あたりの宇治川風景