復興の鷹山
休み山として例年後祭のとき、ご神体は三条通りに飾られていました。
ご神体は左から鷹匠、樽負、犬飼の三神で、
鷹匠は左手に鷹を持ち、樽負は樽を背負って両手に粽を持ち、犬飼は白黒まだらな犬の綱を引いています。
平安時代光孝天皇行幸のとき、在原行平が鷹狩りを行った風景だと伝えられています。
江戸時代まではくじ取らずの曳山として、豪華な姿で巡行していました。
鷹山の歴史は古く、応仁の乱以前の記録に鷹山の名が残っています。
しかしその後度々の火災に遭い、文政9年(1826)の巡行では大雨にあって装飾品を傷め
その翌年から巡行に参加できず休み山となりました。
さらに元治元年(1864)の鉄砲焼けでは山の大半を失い、ご神体の一部を残すのみとなりました。
そして今年193年のときを経て囃子方などその一部が復活し、
唐櫃巡行として後祭に参加しました。
曳山としての完全な復興は2022年が予定されています。
見送り 皆川月華 鷹の図 |
鷹山復興初参加 |
提灯の下がる唐櫃巡行 | 後祭巡行 先頭は北観音山 |