山科本願寺 土塁跡

寛正6年(1465)本願寺の勢力拡大を恐れた比叡山僧徒によって、
東山大谷の地を追われた本願寺6世蓮如上人は近江を経て越前吉崎へ逃れます。

そして北陸地方に門徒を広げた蓮如は、
文明10年(1480)山科に戻り山科本願寺を建立しました。
その寺域は約43万坪(現京都御苑の1.5倍)に及び、御影堂、阿弥陀堂など伽藍が建ち並び、
庭園も美しくその姿は「仏国の如し」と評された荘厳なものでした。

寺域の周りには土塁と濠が廻らされ、城郭を思わせる景観であり、
寺内町としてその内には町家も包括されていました。

しかし、天文元年(1532)日蓮宗徒と比叡山の僧兵、それに六角定頼が再び山科本願寺を襲撃し、
山科本願寺は僅か53年間で灰燼に帰し、大坂石山本願寺へ移っていきました。

今当時の面影を残すものとしては、山科中央公園に土塁と濠の一部が見られるばかりです。
高さ9m、東西75m、南北60mの土塁跡は国の史跡に指定されています。

山科中央公園 土塁跡 
            
土塁跡  山科川