五山送り火 「妙」の火床

桓武天皇が都を京都へ移されたとき、農事に巧みな100人を選んで松ヶ崎に住まわせ、
土地を与えて上納米を作らせたとあります。
今もその末裔の人々が松ヶ崎百人衆として結束し、妙法の送り火を伝えています。
今日はその方の案内で、「妙」の火床を特別に見せていただきました。

写真のような火床が文字に沿って並び、この上に松の割木が井桁状に積み重ねられます
8月16日夜8時5分、東山大文字に続いて、
遠くからのライトを合図に「妙法」は一斉に点火されます。
103ケ所ある火床は字画ごとに受け持つ町内が決まっており、
55戸の家が毎年順番に火床を移して奉仕いたします。 

送り火の妙法の文字は、向かって左に「妙」、右に「法」があります。
昔の読み方通り右から読むと「法妙」となります。
これは実眼僧都が日蓮宗へ改宗した時、西山に自ら「妙」の字を書き送り火としました。
「法」は江戸時代初期、日良上人によって書かれましたが、
そのとき「妙」の左に山はなく現在の東山の位置となりました。
よく見ると「妙」は草書体風、そして「法」は隷書体風と書体も違います。

 並ぶ火床  妙・法入山禁止   
       

 妙の山から見た京都市内     左端東山大文字