占出山 神功皇后御神像

江戸時代の御香宮祭には、祇園祭の「占出山」と同じ神功皇后を祀る曳山が巡行したと聞き、
竹田街道肥後町バス停近くの、神功皇后像を納める御神庫を訪ねました。
 
室町時代からの伝統がある風流花笠行列には、
江戸時代になると各組が趣向を凝らした山鉾のような練り物を作り参加したようです。

ここの「占出山」は宝暦12年(1762)御香宮の御祭神神功皇后の故事に基づき作成されました。
日本書紀には三韓出兵の折、神功皇后が肥前の玉島川でアユの釣り糸を垂れて、
その戦の成否を占われたとあります。
それが魚偏に占うと書いて鮎という文字の、語源と伝えられます。
 
占出山の巡行は明治以降中止されていましたが、昭和の初期に僅かな期間復活しました。
その時の貴重な写真をご町内の塚本昌宏様からお借りしました。

今曳山は残されておらず、御香宮の祭礼の期間だけ御神像が公開されています。
等身大の水干烏帽子姿で右手に弓、左手に大きなアユを釣り上げた
身長約2mの美しいお姿を間近に拝することができました。

  占出山 昭和3年頃     公開された御神庫
            
 御神庫外観  御香宮 祭礼神輿