大徳寺 金毛閣

千利久は堺の商人の子に生まれ、17歳から武野紹鴎に茶の湯を学びました。
そして大徳寺107世笑嶺宗訴(しょうれいそうきん)に参禅して以来、大徳寺には茶の文化が広がり、
建仁寺の「学問面」、東福寺の「伽藍面」とともに、大徳寺の「茶面」として知られています。 
 
利休は初層のみであった金毛閣に上層を寄進します。
喜んだお寺は上層内部に雪駄履きの利休の像を安置しました。
その門を通り仏殿へお参りする秀吉の頭を踏みつけるものだと、
秀吉の怒りに触れて利休は切腹を命じられました。

利休と茶道三千家の墓が境内の聚光院にあります。
そこには利休好みの茶室閑隠席があり、かっては利休自刃の席といわれていました。

また、細川家の菩提寺高桐院には、
利休七哲の一人細川忠興の墓があり、墓標は六角形の石灯篭です。
元は利休が寵愛した石燈篭で、秀吉に所望されたとき燈篭の蕨手を割り、
その傷を理由に寄進を辞退したとの伝承があります。
庭園にはそれを模した春日燈篭も置かれています。

大徳寺境内   聚光院
            
 
高桐院 庭園と燈篭

 高桐院 入り口