北野大茶会

利休の名は最初宗易といいました。
天正13年(1585)関白となった秀吉は、その返礼として宮中で茶会を開き、正親町天皇にお茶を献じました。
その時宗易は町人の身分では宮中入りは許されず、
正親町天皇から利休居士という名をいただき参列し、名実ともに茶道の第一人者となりました。

そして天正15年10月1日から10日間秀吉は自己の権威を天下に示すべく、
北野天満宮で諸大名、公家、茶人から町人、百姓に至るまで1000余名を集めて野点の大茶会を開きました。

触書には「身分を問わず、茶碗一つを持って誰でも参加するべし」とあり、
当日は拝殿前の四つの茶室において秀吉をはじめ、利休、津田宗及、今井宗久らも自ら茶頭役を務め、
その他境内には800余の茶席が設けられました。
拝殿中央には黄金の茶室が据えられ、周囲には秀吉秘蔵の名物茶器も展示されました。

しかし、肥後国で国人一揆が起こったとのことで、
10日間の予定は中止となり初日一日だけで大茶会は終わりました。

 太閤井戸  北野天満宮本殿
          
  一の鳥居    咲き始めた梅苑