高台寺 時雨亭 傘亭 

利休以前のお茶席は書院造の部屋を茶室として「数寄屋」と呼び、
それらの茶道具も高価な唐物磁器が尊ばれました。
それに対し利休は、先人村田珠光、武野紹鴎の心を汲み、
楽茶碗をはじめ質素な国産茶器を自らデザインしています。

茶室も2畳や3畳の小間造り、建物から独立した草庵風茶室に露地を設け「わびの世界」を求めました。
利休好みの茶室としては、高台寺の重文に指定されている「傘亭」、「時雨亭」があります。
手前時雨亭は2階建て茅葺の入母屋造り、
奥の傘亭は茅葺の宝形造りでいずれも伏見城から移されたものです。

山崎の妙喜庵には千利休が秀吉の命を受けて建てた国宝の茶室「待庵」があります。
利休の作として推定される唯一のもので、二畳台目の質素な造りにわびの静寂を感じます。

利休の死後その娘婿の少庵が千家を継ぎ、
その子宗旦の家系から次男宗守が武者小路千家「官休庵」、
三男宗左が表千家「不審庵」、四男宗室が裏千家「今日庵」を継いでいます。

 妙喜庵 待庵  (2010年撮影)  武者小路千家 官休庵 
          
 表千家 不審庵  裏千家 今日庵