泉涌寺 仏殿

令和の御代、御寺とよばれる皇室の菩提寺、真言宗の総本山泉涌寺を訪れました。

平安時代弘法大師空海が、この地に草庵を結び法輪寺としたことに始まり、
後に藤原緒嗣によって仙遊寺となります。
その後衰退していた仙遊寺は、鎌倉時代の初め月輪大師俊芿(しゅんじょう)によって伽藍が再興され、
そのとき境内から清泉が湧き出し、寺名も泉涌寺と改められました。

大門を入るとなだらかに降る参道の正面に、
本尊釈迦、阿弥陀、弥勒三尊を祀る仏殿(重文)があります。
江戸時代に4代将軍家綱によって建てられた単層裳階付き、入母屋造りの禅宗風建物です。

その奥には俊芿の弟子湛海が中国から持ち帰った仏牙舎利(釈迦の歯)を納めた舎利殿があります。

観音堂には唐の玄宗皇帝が寵愛した楊貴妃の冥福を祈り、
香木でその美しい姿を彫らせたという楊貴妃観音があります。
この観音像も湛海が中国から持ち帰りました。

また、清少納言は自分が仕えた66代一条天皇の中宮定子をしのび、定子の鳥辺野御陵の近くで晩年を過ごしました。
この辺りには清少納言の父清原の元輔の山荘があったといわれ、
境内に清少納言の歌碑が建てられています。
「 夜をこめて鳥のそら音ははかるとも 夜に逢坂の関はゆるさじ 」

       左 舎利殿  右 仏殿 大門  
                     
  
        清少納言歌碑 

今も清泉湧く 泉涌水屋形