戒光寺

即宗院に続いて「丈六釈迦如来」と書かれた大きな石碑の立つ戒光寺があります。
本尊の釈迦は鎌倉時代の仏師運慶・湛慶父子の作と伝えられ、
身の丈5.4m、総丈約10mに及ぶ木像寄木造の大きな仏像で、重文に指定されています。

寺伝によると後水尾天皇が東宮の時、皇位継承争いから賊に襲われ、
釈迦が身代わりとなって東宮を助けたとの伝承があり、
釈迦の首元には刀傷と血のあとらしきものがみられます。
「身代わりの丈六さん」ともいわれ、首から上の病に身代わりになっていただけるとの信仰があります。

赤い鳥居の奥に祀られている融通弁財天は、「泉山七福神巡り」2番で融通の名の通り、
金銭の融通をつけてくださるということで信仰を集めています。

境内の墓地には元新撰組の隊士伊東甲子太郎、藤堂平助ら4名の墓があります。
伊東らは佐幕派の土方歳三らと意見が合わず新選組を脱退し、
戒光寺長老湛然の斡旋で禁裏御陵衛士となりましたが、
油小路事件で新選組によって伊東ら4名が暗殺されここに葬られました。

 丈六釈迦如来 (お寺の案内書より)  融通弁財天
           

奥 本堂 
  境内にこんななつかしい現役の公衆電話がありました