新善光寺

さらに奥へ進むと新善光寺があります。
こちらは泉涌寺の準別格本山で山号に代わって「一条殿 新善光寺」とあります。

鎌倉時代後嵯峨天皇の勅願により、
信州・善光寺の本尊を模して阿弥陀如来立像を造り、宮中に安置しました。
しかし、当時の人々が遠路信州善光寺までお参りすることは難しく、
後嵯峨帝はこれらの人々のために、この阿弥陀如来を本尊として、
一条大宮にお寺を建て新善光寺としました。

その後応仁の乱で寺は兵火に焼かれ、文明5年(1473)後土御門帝の勅により泉涌寺境内へ移り、
寛文年間(1661~1673)孤雲正瑞によってこの地に落ち着きました。
下の写真の本堂に本尊阿弥陀如来が納められています。
客殿、書院には狩野周信ら狩野派画家による襖絵58面あります。
 
境内の池には錦鯉がゆったりと泳ぎ、
その後の愛染堂には「泉山七福神」の番外札所として愛染明王が祀られています。
ここのご利益は家庭円満、恋愛成就です。

 客殿   表門
         
  錦鯉遊ぶ池  愛染堂