兎道稚郎子の墓

今まで宇治については部分的に取り上げてきましたが、今回宇治の歴史を語ろうとして、
昭和34年頃大原出版企画の依頼で、私が宇治のガイドブック「宇治周辺」の解説文を担当したことを思い出しました。
その文を引用しながら[宇治の歴史]をまとめてみました。

…宇治は茶どころ、茶は縁どころ…と歌われいたるところに、ほのかな茶の香りの漂う宇治の里は、
緑なす山間を縫って流れ来る宇治川の清流に育まれて、古来幾多の名歌に詠まれてきました。

宇治の歴史は遠く4世紀に始まり、
応神天皇は第6皇子の兎道稚郎子(うじのわきのいらつこ)を皇太子に定められましたが、
応神天皇崩御後、兎道稚郎子は皇位を兄の大鷦鷯尊(おおささきのみこと)に譲られ宇治に隠棲しました。
宇治への途中、草深い道に迷われた兎道稚郎子を、
兎が突然現れて道案内したことが、兎道(うじ)の名の起こりと伝えられています。

しかし兄皇子も皇位を辞退され、お互いに譲り合い皇位空白のまま3年が経過、 
そのことに悩んだ弟皇子はついに自害され、悲嘆のうちに皇位につかれたのが兄の仁徳天皇です。

宇治神社 神使いの兎   宇治橋
         

 宇治川 手前亀石 
 宇治の茶畑